少年の初めての悲しみ

朝日新聞Be版「映画の旅人」に、小栗康平監督の「泥の河」が特集されていました(413日付)。時代は昭和31年。日本が「朝鮮戦争特需」だとかいう頃のまだ貧しい大阪。汚れた河べりの食堂の男の子と、岸につながれた船に住む男の子の出会いと別れの話です。

みすぼらしい舟に住む母親は体を売って生きています(廓舟・くるわぶね)。子どもは母の仕事の後ろ暗さを感付いている。主人公の少年は、親から「夜、あの舟に行ってはいけない」と言われていました。ある日少年は男の子の心づくしの誘いで船に乗り、夜の暗がりの中でその母親の姿を見てしまう。次の日、舟は岸を離れ、少年は初めて人生というものの深い悲しみを知る、というようなお話。少年の父母が船の二人の子ども(男の子とけな気な姉)に示す大人の優しさ、子どもたちの本当に素直な気持ちの通じ合いが心に沁みる映画でした。

本題はここから()

思わず記事をクリッピングしたのは、「不運な人間への痛切な感情」というフレーズに目をひかれたからです。そこでは「哀切と痛切」の違いが書かれていました。小栗監督によると「あるポジションが自分にあって、そこから見て可哀想だというのが哀切だが、痛切は、自分が相手に置き換えられ、そっちでもあり得た、と思う場所から生まれてくる感情」だと。哀切は情緒的で流れる感覚が、痛切は現実との関係が滲むのかもしれません。

母親もその子も時代の不運の中にいます。映画では、大人は痛切を感じながら母子を見まもり、少年は哀切では収まらないどうしようもない悲しみを知ります。

不運さやみじめさから遠ざかろうとするのは誰でもそうなのですが、遠ざかる自分だけを見て、置き去りにする不遇な状況は見ないように生きるのはなんだか気になる。思いやる「哀切」すらどんどん捨てて「自分だけ」になっているようで。でも「痛切」はもっと怖い。だから「そっちでもあり得た」から逃げる競争だらけになっているのだろうか。豊かになったといわれる今の社会でもまだなお。

モノクロの映像が印象的な映画でした。VHSビデオがあるそうです。お薦め。

 

ところでこのBe版、赤のBeと青のBeがあるのをご存知ですか?赤は生活・文化もの、青は経済・ビジネスものを扱います。青のBe版では「フロントランナー」、赤のBe版では「うたの旅人」がごひいきでした。たまに「人生相談」の金子勝さんが優しいなあ、と思ったり、上野千鶴子さんの回答に仰天&納得したり、と面白いページがあり楽しみです。

最近「うたの旅人」が「映画の旅人」になった?のか、初めて映画を扱ってくれてありがとう!() Beがもっと楽しみになりました。※Be=Business&Entertainment」の頭文字 (油井文江)